非常に困難を感じた位であつたが、そのくせ何か意見はもつて居つて、文章も下手であるけれども、自分一己の理窟を立ててものを書き、家庭教師などの言ふことは聞かない。殆ど持てあまされた程であつたが、二十一二歳位からその學問がその長所を發揮して來て、殊に一己の創見によつて著述することに興味をもつて來た。進士の試驗には首尾よく及第したが、その學風もまたその人と爲りも餘程變つて居つたので、官途の出仕も出來ず、一生不遇に暮した。しかしその間に著述した所の文史通義・校讐通義といふ本は、まだ出版せられない當時からして、既に有識者に認められ、之を好む人は非常に崇拜して、その一文の出づる毎に皆之を寫し傳へて持つて居つた程であつた。それで歿後その子によつて著述は出版せられ、幾度も版を重ねたが、最近數年前に至つて、その全集を出版する人があつて、今ではその學問は非常に光を放つて、殊に新らしい西洋の學問などを修めた人々に尊重せられるやうになつた。
自分はこの人の文史通義・校讐通義を讀んだのは明治三十五年が初めてで、その時に大變面白かつたので、本を二部杭州で買つて、一部を當時支那留學中の狩野博士に贈つた。その後とも、
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