能はざるのである。然るに又一面で、孟子の如きは、「予れ豈辯を好まんや」と言つてゐる。それは道と器とが離れて、道は器によつて現はれずに、人によつてなづけられるやうになつて來るといふと、我れの道、彼の道といふやうに色々分れて來るので、自然にそこに論辯を要することになつて來るから、已むを得ず論辯するといふのである。
 しかしながら孔子の道は、單に空言に託せずして、之を行事に現はすといふことを主とした、その行事といふのが即ち古來の前言往行をいふので、それを現はす所のものは即ち史であるから、この人の考では、凡そ學問といふものは即ち史學である、史學でないものは學問でないと、かう考へたのである。
 章學誠は又原學篇を書き、學問といふことに就て、易に「成象之を乾と謂ひ、效法之を坤と謂ふ。」學問とは模倣の謂ひなり、道なるものは成象の謂ひなりと考へて、又孔子の「下學而上達す」といふ語があるに就て、即ち形而下の器によつて學んで、形而上の道に達するのが學問の目的であり、方法であると考へたのである。どういふ風にして成象たるを知つて、之に模倣するかと云へば、前言往行の色々の變化を究め、久しき年代に亙る所のものを多
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