さうして自分の必要な題目によつて勝手に著述をしたものである。然るに後になつてこの尚書の體裁が一變して左氏の春秋となつた。尚書にはきまつた體裁がないけれども、左傳にはきまつた例、即ち編年體が出來て來た。左傳が一變して司馬遷の史記即ち紀傳體の歴史になつた。左傳は年月によつて事實を並べて行つたが、司馬遷は之を變じて類例によつて歴史を作つた。司馬遷の史記が一變して班固の漢書になつた。史記は古代から近代までを一つの歴史として、通じてその變遷を現はして書いてあるのに、班固は漢一代のことを斷代の歴史として書いた。しかしともかくもこの時までは古來からの法が段々變化はして來たが、それで形は違つて居るけれども、精神は一樣である。殊に司馬遷の史記の如きは、本紀・書・表・世家・列傳と體を分けて書いてあるが、しかしそれは單に外形上さういふ區別をしたのであつて、内容に於てはそのやり方は自在で、その名前に拘束されて居らぬ。例へて言へば、司馬遷の伯夷列傳は、伯夷の爲めに傳を書くばかりでなしに、總ての列傳の總序として一番初めに書いたのであつて、題目は何んであつても、その内容は自由自在に如何なることを書いても差支ないやう
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