その後の歴史は悉くその同じ體裁によつて書く。然るにその體裁の根據になる所の記録といふものは、十分に確實な記録が備はつて居らぬ。それで確實な記録のない所から、著述の體裁だけの一定したものを作らうとするから、その著述といふものが、非常な不確かな信用の出來ぬものになる。これが即ち三代以下、撰述有定名而記注無成法といふことになるのである。記注に成法がないから、材料を取るのは困難で、さうして動もすれば事實を紊る。然るに撰述に定名があつて、體裁は一定してゐるから、本を作ることは割に容易く出來る。そこで文が質に勝つて、いよいよ以て不確かな記述が出て來るのである。三代以下の著述でも、その良い勝れた著述といはれたものは、皆必ずしもきまつた體裁はないのである。例へば通典が作られた時に、通典は一體禮の變遷を書いたものであるが、その間に禮に關する議論を差挾んでも差支ない。又司馬遷の史記は自分が書いた本文の後に、その材料になつた所の原文を存録してゐることもある。さういふことは少しも差支ないのである。
所で著述が段々變つて行く所の道行きとしては、初めの尚書は最も理想的な著述である。即ち成法のある記注を本として、
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