いふものは、勿論道を載せて居る所の書であるが、しかしその實、六經に載せてゐる所のものは皆な器である。六經といふものは古來の聖人の前言往行であるが、その前言往行といふものは、皆な器によつて現はれて居るので、それを記載したのが六經であるから、六經が道を現はすには、器によつて之を現はしてゐるのである。然るにその古代に於ては、その器によつて教を立てて、即ち治教、政治と教とが二つに分れず、官と師が合一であつて、即ち政治と教育とが一致をして居つたから、教へ、學問は政治の實際の器によつて現はれ、學ぶ者がその器によつて直ちに道に接することが出來たので、器の外にこれが道であるといふものを示されなくても、自然の器によつて道を會得したのである。然るに周の世が衰へた頃からして、治教が二つに分れ、官師が二つに分れることになつたので、その器を著述の上に現はしてさうして教へとしたのが即ち孔子であつて、ここに至つてその文字を以て著述とすることになつた。で孔子は或る時は「予れ言ふ無からんと欲す」と言つた。それはこの世の中にありとあらゆる器によつて自然に道が現はれて居るのであるが、之を六經に載せるに就ては、言ふ所あらざる能はざるのである。然るに又一面で、孟子の如きは、「予れ豈辯を好まんや」と言つてゐる。それは道と器とが離れて、道は器によつて現はれずに、人によつてなづけられるやうになつて來るといふと、我れの道、彼の道といふやうに色々分れて來るので、自然にそこに論辯を要することになつて來るから、已むを得ず論辯するといふのである。
しかしながら孔子の道は、單に空言に託せずして、之を行事に現はすといふことを主とした、その行事といふのが即ち古來の前言往行をいふので、それを現はす所のものは即ち史であるから、この人の考では、凡そ學問といふものは即ち史學である、史學でないものは學問でないと、かう考へたのである。
章學誠は又原學篇を書き、學問といふことに就て、易に「成象之を乾と謂ひ、效法之を坤と謂ふ。」學問とは模倣の謂ひなり、道なるものは成象の謂ひなりと考へて、又孔子の「下學而上達す」といふ語があるに就て、即ち形而下の器によつて學んで、形而上の道に達するのが學問の目的であり、方法であると考へたのである。どういふ風にして成象たるを知つて、之に模倣するかと云へば、前言往行の色々の變化を究め、久しき年代に亙る所のものを多
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