く識つて、さうしてその間に所謂成象といふものを自得して、それに模倣するのが即ち教育の道である、と考へて、道の規範に從つて教育するのであるが、この意味から言へば總ての學問が即ち史學でなくてはならんといふことになつて來るのである。只だ茲に後世になつて道なり教なりが、色々多岐に分れて來るといふのは、即ち儒者などの如く、その古來から存してゐる器によつて學んで居りながら、器よりして道を認める所まで思ひを致さないで、只だ故なく前言往行を記憶してゐるだけで、發明する所がない愚昧な一派の者がある。これは即ち孔子のいふ學んで思はざるものである。一方には又古來の前言往行に因らず、器を載せた六經に因らずして、只何んでも自分の心で考へて、自ら是とするやうになる一派の者もある。これは即ち聖人のいふ思うて學ばざるものであつて、それが即ち諸子百家の雜説の因つて來る所である。
以上は章學誠の道と學との因つて來る根本を説明した所であるが、かういふ原理の上に立つて、さうして總ての古來の著述を判斷して行つたのである。それは色々な論文によつて現はれてゐるが、その一つの有名なのは「言公」の論である。章學誠が言ふには、「古人の言は公の爲めにして、私に據つて己れが有と爲さず」と言つて居つて、古人が言を立てる、即ち著述をするといふやうなことは公の爲めにするものであつて、一個の私有物とする爲めに、之が自分のものだといふ爲めに立てるのではない。元來は道を明かにするが爲めに、言で以てその目的を明かにし、それから言を十分にする爲めに文といふものを用ひる、その文によつて目的が達せられれば、必ずしもそれが自分の説であると言つて、私有しなくてはならぬといふことはない。で一番初めは著述のない時代、即ち道を現はす器といふものは、政治その他の世の中にありとあらゆる機關によつてのみ現はれて居つたのであるが、その中にそれを著述によつて現はすことになつても、最初の著述はその器を載せ道を明かにする爲めの著述であるから、自分の一個の言を立てる爲めの著述ではないのである。で一人の立言者があつた時に、その道を傳へた後の人は、その立言者の著述の後に直ぐ又附け加へて書いても、前の立言を推し弘める爲めであれば少しも差支ない。後の立言者は前の立言者と一體になつて、さうして之を又後世に傳へて差支ないのである。然るに後世の學者は、それらの古代の著述を見た時
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