たのは、事實に於ては、其敵たる契丹人の壓迫を受けて、一部分が移住させられたのであるにも拘らず、後世になると、僅か百餘年を經過する間に、既に眞の事實を忘れて、兄弟が個々別れ/\になつて、高麗から移つて來たといふやうな話に變化して居る。而してこの女眞族の如きは、比較的遲く國を建てた爲め、隣接した地方に、それよりも古く國を建て、記録によつて史實を傳へた國があるから、其の他種族の確實な記録によつて、このやうに詳細にその變化の樣子を知ることが出來るのであるが、是の如き變化は、之を他の種族の同種の傳説を研究する場合の參考とすることが出來るのであらうと思ふ。其は縱令其傳説を持つた種族よりも古い種族があつて、其當該種族の事實と傳説とを側面から證據立てることがなくても、是と類似したことは、大體に於て事實と傳説とが同樣の變化を經て居るものであると判斷する材料になるのである。
例へば支那の古代に於て、殷と周との開祖の傳説は、殷の方は契《せつ》の母が玄鳥の卵を墮すを拾つて食べたので姙娠し、契を生んだといふ話があり、周の祖后稷は、其母が野に出て巨人の足跡の拇を踏んで、其れに感じて姙娠して生れたと謂はれてゐて、
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