いふことであつた。胡十門のことは金史の列傳に詳しく載せてあつて、胡十門は父の撻不野といふ人が遼に仕へて官爵も受けて居たので、漢語を善くし、契丹の大字小字に通じて居つた人であるが、其遠祖の兄弟三人が同じく高麗から出たので、今金の皇帝即ち太祖が位に即き、契丹が何れ滅びる兆候があるからといふので、自ら部族を率ゐて金に屬した。而して其先祖が同じ兄弟から分れたといふのは胡十門が自ら稱したことである。と、かう書いてあるから、曷蘇館といふ者は、生女眞と同じ種族であつても、其國語をば既に失つて居つたかも知れぬ。其は兎も角、其の同族と考へる者と合する爲に、古來の傳説を言ひ立てゝ歸服して來たのである。又金史列傳には、石土門にも別に傳があり、是は保活里四世の孫と稱するが、然し宗族を同うするも、相通問せざること久しかつた。而して金の太祖の祖父景祖の時に、其系圖を陳べ立てゝ、再び交通するやうになつたといふことを書いてある。
 以上は女眞の中の異つた種族が最初分れた所の事實を、後になつて其子孫に傳へられた傳説によつて語られるまでには、如何に其中途で變化をしたかといふことの概略である。即ち曷蘇館が初め女眞から分離し
前へ 次へ
全9ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング