]尊、これがやはり「隹王二祀」と出て居ります。以上は皆銘文の終りに年の出て居ります例であります。
それでかういふ風に篇末に紀年のあるのは、大體所謂西周の銅器にだけあるのでありまして、東周以後の銅器には殆どありません。これは餘程古い紀年の書き方と言つてよろしからうと思ふのでありますが、それとこの洛誥の紀年の書き方と一致しております。ただ洛誥には七年としてあつて、七祀としてありませんが、かういふのは、記録が段々傳はつて居る間に、後出の分り易い文字に書き直すことはあり得るのでありまして、例へば司馬遷の史記の中に尚書を引用した處を見ますと、色々原文の文字を易へて居ります。訓詁の字を以て易へたと云はれて居りますが、やはり古い記録を新しく傳へる時は、分り易くして置く必要がある所から、かういふ風に文字を書き直すことはあり得ることであります。
ともかくこの召誥・洛誥が尚書の中で、記録された時代が最も古いもの、確かなものと云つてよからうと思ふのでありますが、處でこの召誥の中に、この歴史的思想といふやうなものが餘程はつきりと現はれて居ります。大體支那の歴代は、最も古い時代に夏が代つて殷となり、殷が代つ
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