豫言と見る考へもあるのでありますけれども、一方にはさういふ宗教的な考へがあるかと思ひますといふと、一方には理想的に非常に進んだ歴史思想を有つて居ります。今申す三世思想などがその最も進んだ歴史的思想であります。
かういふ風に考へますと、支那の歴史的思想の起源、それからして段々發達して來た迹といふものは、第一實際の事實に於て三代といふ王朝の變り目を感じたこと、それから禹が水土を平げてその上に國をつくつて以來、三代の變化があつたといふことの考へが行はれて居ること、それから社會的なことと致しましては禮俗の變化、宗教的な考へとしては災祥・卜筮・夢の人事との因果關係、さういふ風な色々な思想が根源になりまして、それから最後に綜合的な史學思想即ち孟子の一治一亂、公羊の三世といふやうな思想に發達をして來たといふことになるだらうと思ひます。勿論それらの歴史思想と、それに出て來る所の事實とを綜合して、さうして立派な歴史を作り上げたのは、それは漢の時代の司馬遷でありまして、史記の十二諸侯年表の序の贊に、自分の歴史を作つた所の由來を述べて居りますので、これに古來の歴史の思想なり、材料なりを蒐める方法を言つてあ
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