と殆どその文句迄相類似したことが載つて居ります(10)。それから前に申しました畝に税することに關する公羊傳の論に、十分の一といふものは理想的租税であつて、十が一より重いものは大桀、小桀、十が一より輕いものは大貉、小貉であると云ふことを言つて居りますが、それは孟子と大體に於て同じことを云つて居ります(11)。さういふ點は、どつちが――孟子が原ですか、公羊傳が原ですか、そこは分りませんが、ともかくそれは大した時代の相違がないものと考へられまして、つまりは同じやうな思想をこの二つは持つて居つたものと考へられます。尤も公羊傳には又もつと獨特の歴史思想があります。それが三世――佛教の三世ではありませんが――公羊傳の三世思想でありまして、「所見異辭、所聞異辭、所傳聞異辭。」といふことがありまして、それによつて春秋の時代を三つに分けて、亂世からして段々升平の世、泰平の世と進んで行くといふ思想があります。これは立派な一種の理想的な歴史思想であります。かういふのは、後になつて出て來た所の綜合的歴史思想でありますが、公羊傳の中には隨分讖即ち豫言に關する考へも載つて居りまして、それで春秋の出來た由來を一つの
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