の歴史思想の大變重大なことであると思ひます。
これらのことは、どちらかと申しますといふと、儒教の方では、孔子の時代、或はそれ以後、段々さういふ考へが薄らいで居つたやうで、孔子などは隨分さういふ古代思想に對しては明白な謀反氣を出して居られるやうですが、墨子などには餘程この古代思想が純粹に遺つて居りまして、墨子の書には隨分かういふ奇怪な思想、即ち鬼神などが現はれるといふやうな思想をまだ持つて居つた。墨子の明鬼篇の中にはさういふことが出て居りますから、隨分この思想は春秋以後迄も相當皆信ぜられて居つたものと見えます。それが一方から云ふと、一種の歴史思想であります。さうして春秋三傳から申しますと、さういふ思想は最も多く左傳の方に含んで居りますので、公羊傳などには左傳程さういふ思想がありません。それで朱子などが、公羊は經學であつて、左傳は史學だと申して居りますのも、さういふ一種の因果思想を多分に左傳が持つて居る所からさういふ風に考へられるかも知れんと思ふのであります。尤も公羊傳には又もつと別な歴史思想を持つて居ります。それは又後で申しますが、大體卜筮・夢・災祥といふものは、縁起譚と少し似たやうな
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