と思ひます。日本の神皇正統記などを見ますと、或はその前のものにもありませうが、藤原家といふものは、昔、その先祖天兒屋根命が天照大神を輔け奉つた關係から、末々までもその家が繁昌して、さうして歴代攝政關白の家になるのだといふやうな思想を皆含んで居ります。さういふことはやはり藤原家繁昌の後に出來た思想であつて、その時代思想から遡つて古代のこと迄書かれるやうになつたものと考へますが、さういふ思想が支那に於ては、主として卜筮に關して見はれて來て居りまして、一種の歴史的思想となつたのであります。
 それから夢・災祥といふことでもやはり同じことであります。災祥といふのは、大體尚書の洪範に「休徴」「咎徴」といふものがありまして、休《よ》いことの徴、惡いことの徴といふものが現はれて來て、さうしてその結果が出て來るといふことで、洪範の五行傳などはさういふ意味から全部出來上つたものでありますが、洪範五行傳などの五行思想は、極めて何か荒唐不稽なやうなことでありますけれども、その間に天象時令と人事と關係して何かの原因があると、その結果が現はれて來るといふことの意味が含んで居りますので、これが即ち因果思想即ち古代
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