らうと思ひます。卜筮家としては、自分の家の職務で卜つたけれども、あたらなかつたといふことを書く必要はない。皆あたつたことを書くと、自分の家の職務として輝きます。さういふことから勿論あたつた八卦を書くに違ひありません。そのことは汪中も注意して、「史之於禍福。擧其已驗者也。」と云つて居ります。四庫全書提要には、「左傳載預斷禍福。無不徴驗。蓋不免從後傅合之。」とまで申して居りますが、それを日本の安井息軒先生のやうに、もつと眞面目に考へるといふと、それが道徳的に勸戒とするに足る正しいことだけ書いてあるやうに考へられますけれども、提要の作者や汪中は、もつと皮肉に見まして、やはりあたつた八卦だけが現はれて居るのだといふことを注意して居ります。その中で最も大きなあたつた八卦で世の中の問題になつて居るものがあります。それが或はこの左傳そのものの本の値打如何、眞僞如何に關係する問題に迄なつて居るものでありますが、支那でも七百年前の朱子などは、なか/\さういふことに對して隅に置けない皮肉屋でありまして、面白い批評をして居るのであります。この重大な關係と申しますのは、一つは齊の國の田氏のことであつて、田氏は
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