もので考へて見ますといふと、縁起譚が古傳説の重要な部分を占めてゐることが分りますが、幸ひに公羊傳なり左傳なりの中にやはり縁起譚的のものが遺つて居る所からして、之によつて支那の古代史の體裁、古代史の考へも分るやうになると思ひます。これが一つであります。
 其の外に、支那の學者で左傳のことを研究しました汪中なども注意して居つたのでありますが、左傳に記す所は、人事のみでなく、天道・鬼神・災祥・卜筮・夢の五つであるとして、一々その例を擧げて居りますが、その中で歴史的思想に關係することは主に災祥・卜筮・夢の三つであります(8)。これは隨分色々歴史的思想の發生に關係すると思ひます。はつきり分りよいのが卜筮でありますが、左傳・國語の卜筮に關したことは、日本でも卜法の上から注意した人がありまして、谷川龍山といふ人が「左國易一家言」といふ本を作つた位であり、それに左傳・國語の卜筮に關した記事が大方載つて居ります。それを見ても分ります通り、大體この卜筮に關する記事といふものは、大抵皆――勿論あたつた八卦ばかり載つてゐるに違ひないので、あたらない八卦は大抵載つてゐないのです。恐らくこれは卜筮家の記録が根本だ
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