始」でありますが、今度はもう一つ「猶」といふことを注意しました(7)。それはやはり左傳の閔公の元年の條に、「猶秉周禮」即ち魯の國が猶ほ周の禮をとるといふことを書いた所があります。それから僖公の三十三年の條に「齊猶有禮」といふことを書いてあります。之に就て王應麟は、茲に猶といふ一字を使つて居る所を見るといふと、大體に於て禮は久しく廢つて居つたのであるが、僅かに魯なり齊なりに猶その禮が遺つて居つたといふ意味であるといふことを言つて居ります。これらもやはり世の中が變つて居るのに茲に猶遺つて居るといふ意味でありまして、前の「始」といふのはこれから段々始まつて、そのことが段々後になつて盛んに行はれるやうになることであります。これらがつまり縁起譚として、何か其の當時あることの因《もと》、或は古くから傳はつて居ることの變つて來ることを現はしてゐるのであつて、これが縁起譚的歴史的思想であります。かういふことから、前代のことと今代のこととを比較するやうになつて、その變り目を考へて歴史といふものに關する考へが起るのであります。それがやはり歴史思想の一つの重大な起源であると思ひます。殊にこれは日本紀のやうな
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