氏之不喪出母。自子思始也。
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といふことがあるのを擧げ、さういふ例をずつと皆擧げて居ります。これは勿論王應麟が始めて氣が付いたのでなくして、宋の陸佃が氣が付いたのを王應麟がそれを補つたといふことでありますが、ともかく禮の變化といふことに就て「始」といふことを書いてあることが王應麟、その他の人によつて注意されました(5)。王應麟はその外にも困學紀聞の卷の五に「禮記の曾子問篇は變禮に於て講ぜざることなし」といふことを云つて居ります。それから又困學紀聞の卷の六に先程申しましたやはり六※[#「にんべん+(八/月)」、読みは「いつ」、第3水準1−14−20]を用ゐたことでありますけれども、茲は公羊傳を主として書いたやうでありますが、ともかくその六羽を獻ずるといふことと、それから「税[#レ]畝」といふことがありますが、この畝に税するといふこととの起源に皆「初」といふ字を書いてあるといふことを言つて居りまして、それでこの「初」といふことがやはりこの世の中の事柄の變化する大事なことであるといふことに注意しましたのです(6)。其の外にもう一つ王應麟の注意しましたことは――前のは「
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