りましたか
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世の人|生《いける》を以て死《まかれるひと》に誤つことを惡む、此れ其の縁《ことのもと》なり
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と書いてあります。さういふことは日本紀に隨分澤山あります。神武天皇紀でも、機密を人に言ひ渡す爲に倒語《さかことば》を使つたといふことがありまして、倒語を用ゐることは始めて茲に起れりといふやうなことを書いてあります。それからこの日本紀の記事の多くは、色々の家柄のことを書きました時に、その家柄の大抵先祖を書くか、或は墓を書くか、それから又古い人のことを書いて、今日の何といふ家はその苗裔だと書くか、何か皆今日現在して居ることから遡つてその因縁を尋ねる話になつて居ります。それが即ち縁起譚でありますが、この縁起譚は支那の古書でも左傳などの中に隨分澤山あります。左傳ばかりでありません、春秋にはその外の公羊傳などにも出て居りますが、それに就て宋の王應麟は困學紀聞に於てその事を注意して居ります。困學紀聞の最終の雜識と申します篇にそのことを澤山擧げて居りまして、これは主に禮記とそれから左傳とに據つて書いたのでありますけれども、左傳に「始」といふ文字を用
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