は、商の玄鳥墮卵の話、周の姜※[#「女+原」、読みは「げん」、第3水準1−15−90]が巨人の足跡を履む話などの如き原始的トーテミズム的の説話とは異なつて、本來は一種のトーテムであつたとしても、全體の國土開闢者として考へられるまで發達した點は、已に歴史的思想によつて構成されつつあることを示すものであります。
第三は、私は之を縁起譚と申して居りますが、縁起譚に現はれる所の歴史思想であります。この縁起譚といふものは、何處の國でも古い歴史、物語、記録には皆あるのでありまして、日本などでも、日本紀や何かの古い歴史には縁起譚が非常に多いのです。殊に風土記といふやうなものは、全部縁起譚で出來てゐると言つて宜しいのでありますが、この日本紀などの縁起譚には、よく其の事實を書きまして、これは世の人がかういふ風に傳えてゐる「縁《ことのもと》なり」といふことをよく言つて居ります。例へば日本紀の神代の所に天稚彦のことを書きました所に
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此れ世の人の所謂|反矢《かへしや》畏《い》むべしと云ふ縁《ことのもと》なり
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と書いてあります。それから伊弉諾・伊弉册尊の所であ
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