ます。前に引きましたのはその中の二句であります。これが金文で夏殷間の革命を敍述したものであります。この齊侯※[#「溥」の「さんずい」に代えて「かねへん」、読みは「はく」、第3水準1−93−32]鐘といふものは、大體に於て魯の成公時代のものといふことになつて居りまして、これはその中に書いてあります齊侯といふのは、齊の靈公であるので、その時代が分るのであります。即ち春秋の中頃であつて、大體東周の初めの方の時代に當るのでありますから、魯頌などと大した相違のない時代に出來た金文だといふことになります。これは今日その銅器の實物は傳はつて居りませんけれども、それと同時に作られたらしいやはり齊侯※[#「溥」の「さんずい」に代えて「かねへん」、読みは「はく」、第3水準1−93−32]の一種が今日でも支那に傳はつて、蘇州の潘氏、潘祖蔭の家にあると謂はれて居りますので、大體これは確かなものに違ひないのでありますが、その中にこの禹の説話を書いて居りまして、それから以後の殷周の革命に及んで居りますから、これらは禹を開闢者とした歴史思想の餘程確かに現はれたものであると言つて宜しからうと思ひます。尤もこの禹の傳説
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