れたのではないと言つてよからうと思ひます、少くとも魯頌の出來る頃以前のものでありませう。その他の大雅の二篇もやはり少くとも西周の末頃から東周の初めの間に出來た詩篇であります。又尚書の中で禹のことを申して居りますのは、虞夏書である所の堯・舜・禹のことを特別に書いた部分、それから又洪範などの如くやはり禹から傳へられたといふことだけ特別に書いたものは別としまして、周人の言葉で禹に關係したものと申しますと、やはり先程申しました立政篇にかういふ文句があります。
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陟禹之迹
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この文句は大體詩經の中にある文句と餘程よく似て居ります。この「迹」の字が詩經の方では「績」の字になつて居りますけれども、ひよつとすると、かういふのは昔同じ音の字であつたので、同じ意味であつたのではないかと思ひます。同じやうな例は又魯頌の中に
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※[#「糸+贊」、読みは「さん」、第4水準2−84−63]禹之緒
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といふ文句がありますが、これが金文の有名な齊侯※[#「溥」の「さんずい」に代えて「かねへん」、読みは「はく」、第3水準1−93
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