水東注。維禹之績。
[#ここで字下げ終わり]
といふ言葉が出て居る。つまり禹が水土を平げたといふことの考へは、この頃現はれて居るのであります。又大雅の韓奕の篇に
[#ここから2字下げ]
奕奕梁山。維禹甸之。
[#ここで字下げ終わり]
かういふことが現はれて居ります。それからその外にも、魯頌の※[#「門+必」、読みは「ひ」、第3水準1−93−47]宮編には「奄有下土。※[#「糸+贊」、読みは「さん」、第4水準2−84−63]禹之緒。」とあり、商頌の長發篇には「洪水芒芒。禹敷下土方外。」とあり、同じく商頌の殷武篇には、「天命多辟。設都于禹之績。」とありまして、皆この禹に關したことが現はれて居ります。かういふ詩が一體何時の頃に作られたか、それが分るのも分らないのもありますけれども、殊に商頌などの作られた時代は餘程はつきり致しませんのでありますけれども、今この中で一番作られた時代の分るのは魯頌でありませう。これは主に魯の僖公のことを言つてありますから、それで僖公以後に作られたことは確かでありまして(4)、その作者の名まで傳へられて居る位であります。さうしますと、これらの禹の説話は魯頌以後に作ら
前へ 次へ
全37ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング