礎となつたと云はれる。澹生堂書目も有名な書目である。絳雲樓書目・汲古閣藏書目(これには出版書目もあり、それには解題がある。)なども有名である。この頃から藏書の氣運が盛になり、個人の藏書目の中で解題を作つたものには、錢曾の讀書敏求記があるが、これは個人の藏書目に對し一つの特別な傾向を與へた。この頃、藏書家は互に珍本を獲たことを誇り、明末からそんな人々が大分あつた。謝在杭・徐※[#「火+勃」、426−15]・毛晉(汲古閣)・錢謙益(絳雲樓)などは互に珍書の收藏を誇つた。謝在杭・徐※[#「火+勃」、426−16]などの著にはそんな風が見える。錢謙益の絳雲樓は一度火に遭つて本を燒いたが、後にまた集まつて、その大部分は族子錢曾の手に入り、二代相續の有樣となつた。この頃から藏書家所藏の珍本は、その人が死ぬか又は家が衰へると別の藏書家の手に移り、珍本の收藏が系圖を引いて轉々した。清初以來有名な藏書家の本は、今日まで藏書家の手を經て傳來したものがある。又その中には日本にまで流れて、日本の藏書家の間を系統を引いて轉々してゐることがある。謝・徐二氏の本は、よほど前から日本に來て、伊藤東涯などは、その藏書印のあるのを見てゐるが、又圖書寮にも殘つてゐる。これは珍本收藏の傾向の結果である。

       錢曾の讀書敏求記――異本書目の祖

 この珍本收藏の最初の解題が讀書敏求記である。この外、徐※[#「火+勃」、427−8]・毛晉にも之に似た書目があつたが出版されなかつた。それで最も大きい影響を與へたのは讀書敏求記である。これより清朝一代を通じて、この種の目録は多く出で、乾隆頃から殊に盛であつた。殊にそれは珍書の解題であるから、版式とか、普通の他の本と異る所以とかを説き、書物の本質の解題ではない。日本でその影響を受けて出た立派な著述は經籍訪古志で、これは讀書敏求記が手本となつて出來たのである。

       明史藝文志――正史藝文志の一變

 眞の目録學即ち學問の源流に關する目録學としては別にその方の著述もある。正史の方の書目としては明史藝文志であるけれども、正史の藝文志は明史に至つて一變した。明史藝文志では、古來傳來の書籍の目録は一切省き、明一代の著述のみを集めたのである。その序に、焦※[#「立+(宏−宀)」、第4水準2−83−25]の國史經籍志は詳博でよい本だと云はれたが、焦※[#「
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