かになると、學術の根源も分り、學術の傳來も分り、昔ない本で新らしく本のあるものは新らしく出來た學問であることも分る。これは皆分類法の效能であるとする。
彼は又目録は必ず亡書を記すべきだといふ。これは亡くなつた本を書いておくと、一時亡くなつた本も或は搜し出すことが出來るからである。昔の劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の七略・漢書藝文志、その後六朝までの目録にも、すべて亡書を書いてあると云つてゐるが、彼が六朝の目録を見たかどうかは疑はしく、隋書經籍志に梁以來の亡書を擧げてあるのから推したのであらう。唐からは有る本だけを書き、亡くなつた本を書かぬ。崇文總目にも亡書は書いてない。それ故、亡書はますます搜すことが困難となる。昔は亡くなつた本だけの目録を作つた。魏に闕書目あり、唐に搜訪圖書目あり、かかるものを作ると本が段々出て來る。自分の藝文略は、古今の有無いづれの本をも書いた。ともかく崇文總目はかういふ點が最も惡いと云つてゐる。これは目録學の根本の議論からかく云つてゐるのである。
又書籍に名は亡びて實の亡びざるものあることを論じてゐる。本はなくなつたといふが、その實が他の本に含まれ、或は他の一部分に含まれて、實際はなくならぬと同じものがあり、かかる本は何時でも復舊が出來ると云つてゐる。
又本のなくなるのは、校讐する人の失態によるものもある。例へば唐書藝文志には、天文類に星の書があり、風雲氣候の書がない。これは實際はあつたに相違ないが、目録を編輯する時に取り落したのである。そのため有る本が無いといふことになる。これが書籍の存亡に關する論である。
又目録を編纂する人の惡いことは、書名のみを見て内容を見ずに目録を作るものがあり、又本を半分見て半分を見ないものがあり、分類を誤ることがある。
又亡書を求める法としては、これを八箇條に分け、一、即類以求、二、旁類以求、三、因地以求、四、因家以求、五、求之公、六、求之私、七、因人以求、八、因代以求、といふことを論じてゐる。
又分類法の誤りについては、漢書藝文志以後、唐書藝文志・崇文總目に至るまでの諸分類の誤りを論じた。もつとも崇文總目の中にも良い點があるとして、特別に擧げてゐる所もある。
又解題法を詳しく論じた。目録の編纂は、分類さへ明瞭にすれば、解題の必要はない。注をする必要のあるのは人の姓名だけである。經書の類
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