經典釋文序録
隋書經籍志と同時代に、參考とすべきものがある。それは經部としては陸徳明の經典釋文序録、史部としては劉知幾の史通の一部分である。陸徳明は唐初まで生存してゐたが、その前から有名な學者であるから、經典釋文は唐になつてから出來たかどうかは疑問であるが、しかし大體同時代である。隋書經籍志を書いた魏徴よりは先輩であらう。これは易・尚書・詩・周禮・儀禮・禮記・春秋(左氏傳・公羊傳・穀梁傳)・孝經・論語・老子・莊子・爾雅に序録を書いたのであるが、それにはこれらの書の學問に關する傳來と、隋末唐初までの陸氏の見た本の目録を書いたのである。これも阮孝緒の七録を參照し、七録の目録と比較した處があり、これらの書に關する目録としては重要なものである。その傳來に關することは、隋志よりも詳しい位で、今日でも經學の傳來を見るには極めて必要なものとされてゐる。
史通六家
劉知幾の史通は少し時代が後れ、劉氏は則天武后の時から中宗・睿宗頃にゐた人であるが、この史通は大體武后の時の作で、中宗の時に出來上つてゐる。この本の全體は、當時に至るまでの歴史に關する總論であるが、その中に歴史の種類を分けたところがある。即ちこの書の第一篇に六家篇があり、尚書家・春秋家・左傳家・國語家・史記家・漢書家に分けた。この時は既に隋書經籍志もあり、七録もあり、色々の目録に關する本があり、大體史部の分け方はほぼ一定してゐたが、劉知幾は自己の考へで別な分類法を考へたのである。これは書籍の内容よりは、歴史を編纂する主義の如何よりして分類したものである。内容よりの分類は隋志で十分であるが、彼は歴史の本質を考へ、その主義を見たのである。たとへば、尚書家は或る一つの事件によつて記録する書き方を云ふ、春秋かは、一方には編年體を用ひながら、一方には褒貶の意を以て書いたもので、後に史記は本紀をこの體裁によつて書いた。この後、國史を作るものは、本紀はすべて春秋の體裁によつた。尚書と春秋とを比すれば、尚書は記言、春秋は記事である。――尚書中にも記事に關するものもあるが――後世これによつて、春秋の體裁のものを作り、又尚書と名づけるものを作つたものがあるが、多くはその本來の意味を失つてゐることを云つてゐる。左傳家も編年體であつて、これがむしろ後世編年の正體とされた。春秋の如く褒貶することは後世用ひられず、左傳の如く
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