#二の字点、1−2−22]の書籍の下に、梁の時に於けるその書の有無及び梁の時との卷數の異同を注してゐる。梁の時といふのは、はつきり斷わつてないが、七録に據つたのであらう。梁の時には官書の目録もあつたが、それは唐初に存在したかどうか分らぬ。確かに存在したのは七録で、七録との異同を書いたものであらう。梁の時にあつて、隋志の時に亡んだ本も入れてあるので非常に役に立つ。これによつて七録を復活して見ることが出來る。勿論七録にあるのを省いたのもあらうが、ともかく、隋志に梁にあつたと書いてあるものによつて、七録の大部分は復活される。復活できないのは、佛法・仙道の二録で、これは四部以外のものとして、一一書名を擧げてゐない。
隋書經籍志の分類は、經・史・子・集の四部であつて、これに道と佛とを附載したが、これは餘分のものとして、一一書名さへ擧げず、四部の分類はここに確定した。そしてこれが正史に入つた結果、爾來四部と一定し、その子目も、多少の變化はあるが、隋志の區分法は、清朝に至るまで行はれることとなつた。隋志は漢志の方法を學んで、各子目の書籍を列べた後には、必ず各※[#二の字点、1−2−22]總説があり、四部の各部の終りには、各部の總論がある。ただこれは二劉の時代とは異り、學問の方針は既に二劉の時代に出來上つて居るので、隋志は主にその以後の學問の變遷を書いた。これは漢志以後の書籍の目録であると共に、漢以來の學術の概括された歴史である。尚書ならば尚書の傳來の歴史を詳しく述べ、それによつて、各※[#二の字点、1−2−22]の本が如何に傳へられ、如何に學説が増加したかが、之を一見すれば直ちに分るやうにしてゐる。隋書の編纂には唐初の有名な學者が關係し、殊にその志類は學者たちが專門々々によつて關係したので、經籍志に載せた各種類の總説に於ても、沿革をよく概括し、今日に於ても、漢以來六朝の學問の變遷を知るには之に頼らねばならぬやうになつてゐる。子目の種類は、七録の處で云つた通りであるが、かく子目の種類を分合した由來も隋志に述べられてゐる。その書法の大體はよほど漢志に眞似たところがあり、強ひてその型を眞似すぎたところもあるが、ともかく、漢志以後、現存する目録としては、之に越えるものはない。ただそれが漢志の模倣で、獨創でないだけに、二劉時代より學問の衰へを示してゐることは已むを得ない。
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