あるから、これを諸子と合併して子兵録とする。
(四)文集録 王儉は※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]が詩賦略と云つたのを、詩賦だけでは言葉がせますぎて他の種類を兼ねられぬとて分翰と改めたが、文を作れるものはすべて之を集にする。よつて翰を改めて集とするがよいとて文集録とした。
(五)術技録 王儉は※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の數術といふ名稱は繁雜であるとして陰陽と改め、方技の語は昔の本に典據がないからとて改めて術藝とした。しかし阮孝緒は、陰陽は數術の包括的なるに及ばず、術藝は六藝と數術とにまぎらはしいから、やはり方技の方がよいとした。但だ七録では道教を別に立てたので、方技の中より房中・神仙を除いてその方に入れた。そこで方技は書數が少くなるので、方技と數術とを合併して術技録としたのである。
 王儉の圖譜志は※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の七略にはない。七略に暦譜があるが、王儉の圖譜とは別物である。大體は圖譜は圖畫に關係するが、圖畫は何れも獨立したものではなく、書籍に附屬したものであるから、元來書籍の中に附した方がよい。又圖譜の中には繪ときのやうな注記のあるものがあるが、これは記傳録の末に附した。以上を内篇とする。
(六)佛法録 佛教が支那に入つてから、孔子の派と殆ど同じだけの本が出來た。王儉はこれを載せても、七志の外に出したが、落着きが惡いので、之を一部として外篇第一とする。
(七)仙道録 これは古くからあるが、※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]は神仙を方技の末に入れ、王儉は道經を七志の外に置いた。今、仙と道とを合して外篇第二とする。王儉の目録では、道を先にし佛を後にしたが、今之を佛道の順序に換へたのは、教に深淺あるによると云つてゐる。
 七録は梁の普通四年に出來たが、これは王儉の七志と比較してゐるので、之によつて七志の趣旨の大體を窺ふことが出來る。七録には、その末に、文字集略三卷と序録一卷とが附いてゐる。これは阮孝緒自身の著述のやうであるが、果して初めから七録に附けたのかどうか分らない。その外の阮孝緒の著述と共に、廣弘明集では附載してあるが、これは廣弘明集の作者が加へたのかも知れぬ。これによると、七録は大體十一卷の著述である。

       七録と隋書經籍志との比較

 七録の目録の大きい分け方は前述の如くであるが、その子目
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