篇とし、佛教・道教の本を外篇とした。七録の分け方は左の如くである。
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經典録内篇第一 易部・尚書部・詩部・禮部・樂部・春秋部・論語部・孝經部・小學部
記傳録内篇第二 國史部・注暦部・舊事部・職官部・儀典部・法制部・僞史部・雜傳部・鬼神部・土地部・譜状部・簿録部
子兵録内篇[#「子兵録内篇」は底本では「子兵録内典」]第三 儒部・道部・陰陽部・法部・名部・墨部・縱横部・雜部・農家部・小説部・兵家部
文集録内篇第四 楚辭部・別集部・總集部・雜文部
術技録内篇第五 天文部・讖緯部・暦算部・五行部・卜筮部・雜占部・刑法部・醫經部・經方部・雜藝部
佛法録外篇第一 戒律部・禪定部・智慧部・疑似部・論記部
仙道録外篇第二 經戒部・服餌部・房中部・符圖部
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これについて阮孝緒は、
(一)經典録 經典と名づけることは、王儉の七志の從つたと云つてゐる。大體七録は、二劉と王儉とを參照して作つたが、王儉が※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の七略の六藝といふ名稱では經目を標榜するに足りぬとして經典としたのは都合がよいから之に從ふと云つてゐる。
(二)記傳録 但し※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]も儉も史書を春秋に附してゐるが、※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の時代は史書が少なかつたから春秋に附したのは良い例であるけれども、今は衆家の記傳は經典に倍するほどあり、しかも猶ほ王儉に從つてこれらを經典に入れては、多過ぎて蕪雜になるとて、經典より史傳に關するものを拔いた。さうして、かかることをしても差支ない例として、七略の詩賦は別に一部類をなして、六藝の詩部に入つてゐないが、これは當時詩賦の數が多かつたので一部類を立てたのであるから、その例によつて、多くの史書を經典部より分つて記傳録とした。
(三)子兵録 諸子部は※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]も儉も同じく諸子と稱した。然るに※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]には別に兵書略がある。これを王儉は、兵の字が淺薄で、軍の字の方が意味が深廣であるとして、改めて軍書志とした。然るにこれは王儉の考へが必ずしもよくはなく、古より兵の字の用ひ方廣く、武事の總名となつてゐるから、やはり軍と云はず兵といふ方がよい。しかし兵書は數が少い。一部門を立てることは不都合で
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