ゐる管子・晏子・荀子の序録を見ると、各※[#二の字点、1−2−22]その人の傳をあげ、著述になるまでの由來を述べてゐる。これが徴史傳の意である。
(十九)闢舊説 傳記などに就て、昔の説の謬れるを訂正したのである。※[#「登+おおざと」、第3水準1−92−80]析子の序録に、その傳説の謬れることを辯駁してゐる。
(二十)増佚文 今日の晏子春秋などに、從來その書に無かつた筈のことが入つてゐるのは、向が色々の本を比較校正した時に増したのであらうといふ。
(二十一)攷師承 道統傳授の次第を考へたものである。荀子の序録の中に、荀子から學問を受けた人々のことを書き、如何にしてその學問が傳はつたかを書いてゐる。その他の本でも、その人の學問の筋道の如何樣に後世に傳はつたかを書いた。これは向の學問が源流を敍づる學であるため、自然ここに注意し、これが別録にあらはれたのである。
(二十二)紀圖卷 從來、宋の鄭樵などは、目録を作るに圖譜の大切なることを論じ、向が目録を作るとき、圖を取り入れなかつたのは缺點であると云つたが、これは必ずしもさうでなく、圖のあるものは圖をも合せて録したに相違ない。殊に向の自著なる列女傳は、圖を書き、その讚の如くにして本を作つたのであるから、他の書を調べる際にも、圖を除く筈はない、と孫徳謙は云つてゐる。
(二十三)存別義 これは本の名前が色々あつたりした時、その別の名前をも併せて擧げる。又同じ事柄につき、異つた話が傳はつて居れば、之をも併せて擧げることである。
 孫徳謙は以上の項目を擧げてゐるが、これは勿論もつと簡單に總括することもできる。この中には、劉向以前に始まつたこともあり、向以後に始まつたこともあり、これが悉く向の目録學にあるとは云へぬが、大體かやうに見ても大した違ひはない。この中で、どれが最も大事なことかと云へば、(九)分部類より(十六)辨疑似までが、最も目録學上の特殊なもので、殊に前からあつても、少くとも向に至つて始めて完成したものである。かくの如く、當時あつた學問を總括的に考へ、經書を中心には考へたが、その他の學問も皆古來系統があり、色々の學派が分れて著述のできたことを、即ち學問著述の成生を歴史的に考へたのが向の特色である。

       漢書藝文志に遺る二劉の學の究明

 劉向の仕事を※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]が相續したが、※[#
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