驗から、異本の出るごとに誤りを直さねばならぬといふので、初めは竹簡に書き、刊改を待つことにしたのである。
(九)分部類 これは前述の編次を謹むことと關係があり、主に部類分けのことについて云つてゐる。但だ今日の漢書藝文志には、明かに部類を分けてあり、即ち全體を六略に分ち、六藝略・諸子略・詩賦略・兵書略・數術略・方技略としてあるが、孫徳謙は、これは向が分けたか※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]が分けたか分らぬけれども、※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]は向の業を繼いだのであるから、向以來の分け方であらうと云つてゐるが、これは漢書藝文志によれば、初めから分れたことが明かである。即ち成帝の時、書籍を集め、校正を命ぜられると、向は經傳(六藝)・諸子・詩賦を受け持ち、任宏は兵書、尹咸は數術、李柱國は方技を受け持つたとあつて、大體の方針は、向の着手の時に定められたのであるから、この部類分けは向に始まることは明かである。今日の漢書藝文志を見ると、六略の中にも色々の部類を設け、之によつて書籍の部類分けをしてゐる。この項は目録學に於て重要な部分である。
(十)辨異同 これは前の「訂脱誤」と關係があり、單に字句の脱誤のみならず、著述の趣意の異同にまで推し擴げたもので、「訂脱誤」はこの中に含めてもよい。これは前述のやうに、戰國時分から、諸子の間に於て、自分の學術と他の學術とを區別するために行はれたのを、向が全體として纏め、書籍の部類分けを定めるまでに作り上げたのである。
(十一)通學術 これは「辨異同」と關係があり、著述をした人の學問の、如何なる筋道、如何なる系統を引いてゐるかの研究をするのである。同じく儒家の中で、孟子と荀子とは相違があつても、儒家たる點では共通する。道家にもさまざまの人があるが、道家たる點で共通する。これを學術を通ずと云つたのである。從つて異同を辨じ、部類を分つことと關係する。
(十二)敍源流 今日の漢書藝文志を見ると、源流を敍することは最も大切なことになつて居り、何々の學は何々から出たといふことを一一論じてあるが、ただ今日の藝文志は、果して劉向の手から出たままであるかどうか、はつきり分らない。今日僅かに殘つてゐる別録によれば、源流をはつきり區別したかどうか分らぬが、しかしこれは、向・※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の前からもこの傾向はあり、莊
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