類に一本を何箇所にも出すことは、例へば歴史を作る時、人の爲めに傳を作ると同じであつて、傳の内容即ち義類が重いので名目が重いのではない。史記・漢書の列傳の法としては、一人の人でもその事件が兩方に關係してゐる時は、詳略して兩方に載せる。例へば史記で、子貢は一方は仲尼弟子の傳にもあるが、一方は貨殖傳にも載つてゐる。又儒林傳に出てゐる董仲舒などは、この外又その人の特別の傳もある。これは事柄の方が重いので人名が重いのではない。書籍の目録を作るも之と同樣で、内容が重いのであつて本の名が重いのではないと云つてゐる。
 互著の外に、別裁といふことも論じた。これはある本の中から一部分を取り出して、之を別の本として目録に掲げることである。それは管子の中に弟子職なる篇があるが、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の七略では管子は大體道家に入つてゐるが、弟子職は切り離されて小學の部に入つてゐる。これは昔の人の著述には、必ずしも自分が書いたのではなく、昔からあるものをそのまま取り入れた部分があり、弟子職は管子の書いたものではない。又呂氏春秋の最初に月令が載つてゐるが、これも呂不韋自身の書いたものではない。それは別に切り離して、その適當な部類に入れて差支ないといふ議論である。
 又、辨嫌名といふことを論じてゐる。別裁の方は、一定の主義があつて一つの本を二つ以上の部類に入れることを論じたが、辨嫌名は、主義がなくして同じ本を二箇所以上に入れることの不都合を論じた。これは漢書藝文志以後には、分類に主義がなくなつたので、重複して著録されたものは大部分は義類に關係がなく、全く編纂の誤りに過ぎない。これははつきり辨別して一つに歸着せしむるが當然である。かかる嫌名を辨ずる方法としては、韻に從つて書籍を分ける署名目録を作り、各書の下に本の由來を書き、いよいよ分類するときに、その韻に從つて尋ねるがよいと云つてゐる。つまり今で云へば五十音順のカードによつて整理するといふやり方である。
 補鄭、これは鄭樵の議論を補ふのである。鄭樵の議論に、本の名が亡び、實は亡びぬといふことがある。これは卓説であるが、樵はその應用に粗雜な點がある。内容をよく吟味せず、ただ書名だけによつて、名が亡び實が亡びないといふ説をなすと、大きな間違ひが生ずると云ひ、そして王應麟などのやつた、なくなつた本の内容目録を作ることの必要を主張し
前へ 次へ
全56ページ中53ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング