であるが、この中で確かなのは初めの四つである。これらの四つのものは、皆體裁が同じで、初めに先づ、如何なる本を集めて校正し、定本を作つたかといふことを書き、定本を作つた以上は幾らでも寫本が作れるといふことを書き、それからその人の傳記の如きものを明かにし、その學問の系統を記し、その得失長短を論じてゐる。初の四つは皆同じやうに出來てゐる故、別録の體裁として間違ひないものである。韓非子のは、その體裁が揃はず、本を校正した記事が缺け、最後の學問の系統を論じた處も缺けて、傳記のみであるので、確かに劉向の作つたものかどうか疑はしい。列子といふ書には色々疑問があつて、今日傳はるものは六朝頃の僞作でないかと云はれてゐる。もしさうだとすると、その書の最初にある劉向の別録ともいふべきものも確かとは云はれないが、大體別録の體を具へてゐる。※[#「登+おおざと」、第3水準1−92−80]析子のも體裁は具へてゐるが、劉向のものとも劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]のものとも云はれ、確かでない。その他、全く僞作と思はれるものは、關尹子と子華子との二つで、これは全く後世の人の僞作と決められてゐるから、先づ採らぬ方が安全であらう。
 劉向は、かく他人の作つた本に解題を書いたばかりでなく、自分の作なる説苑の初めに、その著作の大要を述べてゐる。その他、別録の文が斷片的に殘つてゐるのは澤山あつて、嚴可均の全上古三代秦漢六朝文の中の全漢文の處に、劉向のすべての文を集め、斷片的の文句も皆載せてある。

       劉向の目録學

 劉向の學問の仕方、殊に目録學のそれについては、孫徳謙の「劉向校讐學纂微」に大體論じてゐる。今、この孫氏の書の項目により、自分の意見をも加へて説明することとする。孫氏は第一の箇條として、
(一)備衆本 といふことを擧げてゐる。本を校正するには、色々の本を集めなければならぬ。劉向が多くの本を集めたことは、別録に皆書かれてゐる。その「中書」とか「中祕書」といふのは天子の手許の本である。その他には、自分の持つてゐる本をも擧げてゐる。即ち「臣向が書」とあるもので、その他の本は誰某の書と名前を書いてその本を擧げてゐる。時として「太史書」とあるのは、太史公司馬遷などが見た本であるらしいので、太史の官に備へてあつた本である。漢の時、朝廷へ奉る本は、必ず副本を太史の所に入れたのである。こ
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