たのが、後にはその意味が變つて、人のものを編纂することになつた。殊に史記には八書があり、これは後の志に當るが、この史記の八書を作る意味と、漢書以後の志を作る意味とは異なつてゐる。八書は禮樂制度等を書くにしても、その儀式とか典禮とか定まつた事實に關することは書かない。それは役所に記録があるからそれに任せ、その定まつた制度典禮等が、實際如何に行はれたかといふ精神を書かうとした。漢書は漢の制度を書くにも、漢以前の起源にまで遡つて書いたが、その變遷の精神を書くことが出來なかつた。その後の志は勿論漢書以上に出ることも出來ず、史記の八書の精神は失はれ、單に役所の記録を寫したやうなものになつた。又史記は列傳といふものを書き、後世皆之に倣つたが、史記の列傳は單に一個人の爲めにその事蹟を傳へるのみのものではなく、その中には、その時代の事情を明かにすることを得るやうな書き方をしてゐる。貨殖傳とか儒林傳・游侠傳等を見ても、金持個人、學者個人の爲めに傳を書くのでなくして、それが社會に如何なる關係があつたかを示す主意である。漢書以後は漸次その主意が失はれ、單に個人のためにその事蹟を傳へるに過ぎぬことになつた。か
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