支那史學史概要
――史記より清初まで――
内藤湖南
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【テキスト中に現れる記号について】
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]
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史記が出來てから、その次の代に、史記の後を繼いで出來たものは漢書であるが、この兩者の間に出來た差異の一つは、史記が通史であるのに對して漢書が斷代史であるといふことである。その後の歴史を作る人、殊に支那で正史として取扱はれた歴史を作る人は、編纂の便利であるといふ點から、皆な漢書に倣つて斷代史を作り、史記に倣ふものはしばらくなかつた。これは後に問題になり、歴史は通史に書くべきものであつて、斷代史は眞の歴史の體でないといふ論が出たが、それは南宋の時のことであつて、それまでは史論家も斷代史に贊成するといふ風であつた。
次に史記漢書以後、漸次歴史の種類も増加して來た。史記が出來て間もない時代に、劉向・劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]が、あらゆる書籍の目録を作つた。この目録は、今日では漢書の藝文志に
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