書も同じ方法で出來、當時より分纂法が行はれた。故にそれを統一させる爲めには序例を作ることが必要となり、編纂者の中の主もな人が序例を作り、之によつて各自が分纂するのである。さうなると、各自がただ序例に機械的に從つて書くので、一代の歴史について特別に自分が感じた所を書くのでもなく、編纂者が特別に能力を發揮するのでもなく、歴史編纂の精神を失つた。
 一方では歴史の編纂が役所の仕事となつた爲め、名義上の監修國史が出來た。これは大體唐あたりでは、歴史を作る職としては、祕書省に著作の官があつたが、その職も段々後になつて天子に直接した役所に引きつけられ、史家が勝手に褒貶をすることが出來なくなり、その上に監修國史といふものが出來、これは實際の歴史編纂には無關係な大官が名のみを列することになり、著述の責任なき人が主もな處に名を出したのであつて、益※[#二の字点、1−2−22]歴史がただの役所の仕事となり、史官の精神が入らなくなつた。このやうな點が唐までの主もな變化である。
 歴史編纂の方法が變るとともに、その意味も變化した。司馬遷の時は、歴史の編纂は、之によつて一家言を立て、自分の創作とするつもりがあつ
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