1−2−22]原文から遠ざかつた。かかることで段々と原文を守らぬ風に變化したが、殊に南北朝では、あらゆる文章は皆な駢體であつたのを、南北史の頃からは、この原文の駢體を直して古文に近からしめた。しかしそれでもなほ唐代は駢文の時代であり、五代に出來た舊唐書などは、まだよほどこの體を守つて書いてゐるが、宋代になつて宋祁・歐陽修の二人が新唐書を書いた時になると、非常に原文を改めた。宋祁は自分が古文が好きで駢體文を嫌つたので、唐代の文章を取り入れるのに、駢文を散文に改めた。かくてあまりに原文より遠ざかり、殆ど讀めない處までも生ずるに至つた。これが當時の歴史の風となり、新唐書の後に間もなく司馬光が資治通鑑を作つたが、これは歴史の材料としては、新唐書から取ることを嫌ひ、舊唐書の方を取つたが、歴史の書き方は新唐書の體裁に近いものにするの外はなかつた。これは一つは支那人が簡潔に文章を書くのが文章上手だと考へる風からも來て居つて、原文に遠いものを歴史に書いて滿足することになつたのである。
その他でなほ著しい變化の起つたことは、唐までは歴史の著述は大體私の著で、一家の學として出來たものであつたのが、唐の時
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