書いた。かかることは、自分の歴史を書くと共に、材料の取扱ひを重んじたのであつて、眞に學問として歴史を取扱ふ上の大進歩である。單に帝王のために歴史を書くのならばこんな必要はないが、編纂に關係した人が立派な學者であつた爲め、後世の手本となるやうなことを殘したのである。
 通鑑が出來てより、通鑑に書かれてゐる時代より以前の事を記した書、以後の事を記した書や、通鑑又は長編の體裁で書いた書等、通鑑の影響で出來た書が多く、宋代の史學を進歩せしめた。中でも南宋の袁樞の通鑑紀事本末は著しいものである。通鑑は編年であるから、何年も繼續することを別々に切つて書いてあつて不便であるので、事件の連續を主として書いたのがこの通鑑紀事本末であつて、通鑑の中の記事を拔き取つて事件により纏めた。これが後に支那では歴史の體として大切なものになり、從來は紀傳と編年の二體であつたが、紀事本末を加へて三體となつた。袁樞は單に拔き書きをして便利にする爲めにしたので、大した考があつたのではないが、その結果は大きく、歴史の中で最も便利な最も進歩した體裁が出來たのであると支那の史論家は評してゐる。
 通鑑が編年體で通史を書いた影響と
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