歴史が甚だ多い。勿論この外にも通鑑の影響はある。それは一つは通鑑の編纂方法が與へた影響であり、その外、通鑑の編纂の出來上つた上に、それに附屬の著述の出來たことである。第一に通鑑の編纂方法が手本となつたことは、長編を作ることである。歴史を編纂する前に先づ長編を作るのはよい方法である。これはあらゆる材料を年代を逐うて書き拔き、一年毎に總括して列べる。それを凡そ目的の長さに書き約める。これは今日の大日本史料もこの長編の方法を取つてゐる。支那にも、これ以後、長編だけを作つて纏めぬ書も澤山出來た。その他に材料取捨の方針は、通鑑はやはり新唐書と同じく小説を取つた處があり、その爲めに結果として失敗した處などもあるが、これは當時の一般の風で、史記を手本とした古文がはやるところから、通鑑も小説を材料に取つたのである。それから通鑑の附屬の書として作られたものに目録・考異などがある。通鑑は長い年數に亙る歴史であるから、索引がなければ見出しに困難である。目録は大體、年表であるが、索引の用をするやうに出來てゐる。考異といふのは、通鑑は多くの材料を取つた故、材料の取捨を明かにせぬと疑を生ずるので、その取捨の理由を
前へ 次へ
全35ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング