には、四六文で形式的に出來た材料は、書きかへぬと活動せぬ。殊に役所の文章は四六文であるから、之を材料に用ひては活動せぬ。それよりも野史・小説の類で傳聞の類を材料に取り入れることを考へた。これは今日で云へば、一方は官報、一方は新聞記事を材料とするやうなものである。これが歴史を書く意味の一大變化である。舊唐書までは官府の記録を材料としたが、新唐書からは野史・小説を材料に入れた。
それと同時に、新唐書・新五代史は春秋の筆法を用ひた。新唐書はまだそれ程でもなく、直筆によつて春秋の意を取る位であるが、新五代史になると、一字一字にも意味をもたせて、やかましく區別し、春秋に似た方法を取ることになつた。そのために、新五代史には、その當時に已に注が出來たが、その注は多くはその筆法を解するために出來たものである。とにかく新唐書が出來て以後、大體その方法は、近代に明史が出來るまで、ずつとそのまま行はれて來たと云つてよい。
その他一方に於て、歴史の材料の變形されることの已むを得ないこともある。支那の歴史は、天子を中心として、その周圍のことを書くのが主なる仕事であるが、このことが唐以後非常に不完全になつた。
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