論の喧ましいものであります、或種類の學者、殊に近年支那で最新の經學をやる人には周禮といふものは僞書といふ説が大分多いのであります、亦周禮を信用する人もあります、一體周禮の中の何處迄信用が出來て何處まで信用が出來ぬと云ふことは、專門の學者の難かしいことになつて居ります、で吾々は專門家でもありませぬから、其の判斷をすることが餘程困難でありますが、併し今日に於いて吾々が周禮の中で何處までが安全で信ずることが出來るかと云ふことをきめる可き標準が無いではありませぬ。
 それは今申上げた通り周禮を信ずる學派と信じない學派と二つあります、支那ではそれを古文學派、今文學派と申します、周禮を信ずる學派を古文學派と申し、周禮を信じない學派を今文學派と申します、それ故に簡短に申せば二通りに分れて居る、それで其の古文、今文といふ由來まで申しますと長くなりますが、大體秦が書を焚きまして漢で學問が興りました、最初に興りましたのが今文學で、秦漢以前に行はれた古い文字は漢代の人には大分讀みにくゝなつて居る、漢の時に通用して居りました文字は今日で申せば隸書でありますが、其の讀みにくい古文をその當時通用の文字に改めた書が
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