支那に於ける史の起源
内藤湖南
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)缶《ふ》を打たしめた、
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)レ[#「レ」は返り点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いろ/\の數を
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支那に於ける史の起源に就て述べようと思ふのですが、此の史といふ字には支那では二樣の意義を持つ事になります、一は歴史の書籍の方の意義で、一は歴史を掌る官吏、即ち史官の事になります、其の史籍の方の起源になりますと種々込入つて居りますので、今日は單に史官の起原の事に就てお話を致さうと思ひます。
支那に史官のあつたと云ふ傳説は大分古くからあります、非常に古い話になりますと黄帝の時に倉頡、沮誦といふ史官があつたと云ふ言傳があります、夫から支那で今日遺つて居る歴史の體裁の本の中で古いのは先づ尚書即ち書經でありますが、その中に堯舜の事を書きました堯典は、尚書正義と云ふ唐の孔穎達といふ人の書いたものに據ると、夏の時の史官が之を書
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