最初に行はれた、それを今文の易とか、書とかといひます、其後王莽が勢力を得ました頃から古文の學問が流行つて參りました、それは孔子の家の跡から古い竹簡を掘出したことがある、然ういふ本には古文で書いてあります、それを讀むことを古文の學問といひます、其方を盛んに研究する人を古文學派といふことにしたのであります。
周禮は古文學派に屬する經書でありまして、今文にはありませぬ。今日周禮の中で何處まで信じて宜いかと云ふことを多少安全に定むることは、反對派である今文學派の方で信じて居る古書、即ち禮記、儀禮の中に何處まで周禮に在ることがあるかと云ふことを確めるが宜い、今文學派のやつて居る所と古文學派の云ふ所を引合せて兩方とも一致することは多少信ずることが出來ると考へた方が宜からうと思ひます、それは勿論私共が格別骨を折らぬでも其點を注意して支那で研究して居る人もあります、其方の研究に依つて今申上げました此の五つの史官のことを段々調べて見ますといふと或る結果が見はれて來ます、勿論支那人の調べたのに多少私の少し許り調べたのを附加へてお話しすると、大史とは何ういふ風なものであるかと申しますと、土臺今文の學問とい
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