日には亦其の祭のプログラムの書いた物を持つて然うして人々の位置や何かを極める。
それから其次に王の職務として諸侯を會同朝覲せしめる事がありますが、諸侯が會同して來た時には、矢張り書付を土臺として其の禮の事をして始末を合せる、贈物をする時にも其の次第書を書いた物を以て王に其の次第を皆告げる。
それから大きな軍さのありました時には、當時に大師と申しまして盲人で以て種々澤山物を覺えて居つて、「語部」の役をやつて居る官がありましたが、これが王の顧問官になる者であります、大史も其の盲人と一緒に車に乘つて王の顧問官になつて天文のことに關係した事を述べる、夫から國が遷る時、周も長安附近の地方に居つたのが洛陽の方に遷りましたが、然ういふやうに國の遷る事がありますと、其の遷り方に關する法書を持つて王の先きに行く、大きな喪の事がある時には喪の次第を書いたものを持て然うして務める、それから誄詞をやる事なども大史が勤める、夫から小さい喪、諸侯以下の喪、公卿大夫の喪になりますと、天子から諡を賜ふといふ職務を大史が勤める。
其外に周の時には射禮を重じました、大射禮も小射禮もありますが、其の時に「飾レ[#「レ
前へ
次へ
全27ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング