は之を副墨之子に聞き、副墨の子は之を洛誦之孫に聞くと云ふ事が書いてある、副墨の子といふのは何か文字を書く方から云つたものに違ひない、其の書記す所の記録は之を洛誦に聞くと云ふのは、洛誦は言葉で語り傳へた事を言ひ現はしたに違ひない、然ういふ事を莊子の中に言てありますのでも、古くは言葉で語り繼で居つたといふ傳説のあつた事が分る。
勿論史といふ文字が明らかに出來ましてから後でも、大體史といふものが之を言葉で傳へる者であつたか、即ち語り傳へたものであるや否やと云ふことは判然しませぬ、尤も禮記などには少し判然と分けてあります、禮記の曲禮の中に史載筆、士載言と斯う擧げてあります、士とはその當時の意義からいへば、裁判官であります、裁判官の方で言を載せると云ふ事になつて居り、「史」といふものゝ方が筆を載せることになつて居る、裁判官が言を載せるといふことは少しをかしいですが、夫は又別に理由があるのであります、兎に角歴史の方の「史」といふ者は筆を持つて居るといふ事は明らかに言てあります。
昔の筆といふものは何ういふ物かと申すと、最初は殷虚から出ました龜の甲などに字を現はしてある如く「ナイフ」のやうな物を
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