れども、實はモツト前から在りますので、何誰も御承知でありませうが有名なる※[#「※」は「さんずい+黽」、読みは「めん」、第3水準1−87−19、152−5]池の會に秦王が趙王に瑟を鼓せしめ、趙王が秦王に缶を打たしめた、その時に各々御史をして其事を書かしめたといふことがあります、夫は祕書役のやうなものであると思ひます、秦の始皇の時代になつても最初は王の手許のことを掌る役で祕書役であります、支那のやうな長い專制の政治の國では、君王の左右に居つて祕書役をする者が大いなる權力を占めます、支那の歴代官制の沿革を觀ますと、大抵王の祕書役であつた者が後に宰相の職に變化して居る、秦以前の御史は王の祕密の役人であります、それから漢の時は三公の一に加はるやうになつて來た、所で其の變化は分つて居りますが、周公の制度とも云ふ可き周禮に其官が在つたと云ふことは信じられないと今文學者の方は言うて居る。
其處で此の五つの史のことを考へて觀ますと、古文と今文と好く合ふ點と合はない點の在ることが判ります、外史と御史は今文と古文と合はぬ、それが周の時から在つたことは信じられぬといふことになつて居ります、それで大史、小史
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