て來て居るので、その歴史を話せば長いことでありますが、兎に角斯ういふことが王安石の新法ではつきり致しました。さういふことで、人民の私有といふことの明白になつたのが、私は近代の内容のはつきりした事情の一つと思ふ。
 これが物質的のことばかりでなくして、精神的のことにも及んで來ました。大體漢から唐までの學問といふものは、先生から傳へられたことを守つて、それをだん/\解釋をして演述して行くことは出來るけれども、傳來した師説に背くことの出來ないのが漢から唐までの學問のやり方でありました。それが唐の中頃から自由研究といふものが起つて來たのでありますが、唐の時にはその芽生えが出來た丈けでありまして、宋の時にその自由研究の精神が盛に起りました。それで昔から在る所の經書などに致しましても、傳來の説を守らぬでもよくて、自分の考で新しい解釋をして少しも差支ないことになりました。それが平民時代の平民精神が學問に入つて來たのであります。貴族時代は家系の傳來を重んずると同樣に、學説も傳來を重んじて居りましたが、それが宋の時代になつて自由研究になつた、さういふのが平民時代の特殊な状態であります。
 更に藝術の事に
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