及びますと、此の時代に始めて文人畫といふものが出て來ました。勿論それまでにはだん/″\歴史があるのでありますけれども、世に謂ふ所の南畫の中に文人畫といふやうなものが特に一つの途を開きました。その前からあるといふ説は、支那畫を論ずる人になりますとだん/″\ありますが、私はこの一種の畫の描き方はやはり王安石の時代頃から起つたと思ひます。その文人畫の眞意は、藝術家の專門離れのすることであります。その前は畫は畫工といふ專門家が描くことになつて居りました。所が宋代に新に起つた文人畫といふもので素人が畫を描くといふことが始まつて來た、素人でも藝術に嗜みのある人は畫を描いても差支ないといふことになつて來ました。それが即ち專門家離れをするといふことでありまして、昔唐の初めまでは、畫の題材としては大抵昔から經書とか歴史とかに在る故事來歴に關係したことを畫に描きました。山水は六朝の中頃から發達しましたが、山水でも專門家が特別に研究して描きますから、非常に變つた景色の處を描くことでありましたが、文人畫といふものが、文與可、蘇東坡などによつて起りましてから、唯都から餘り遠くない、誰でも見得る處、誰でも描き得る
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