處の山水を描くことになりました。それが藝術の專門家離れをしたことで、藝術にさういふ精神が入つて來たのであります。
それから工藝でありますが、工藝といふものは餘程考へやうによつては面白いものであります。文化の要素は色々ありませうが、私は文化の程度のはつきりと分るのは其邦の工藝が一番だと思ふ。これを一々茲で説明するには餘り餘裕がありませぬから、私が考へて居る結論だけを茲に述べます。所が工藝に平民精神といふものが宋の時に入つて來て居ると私は考へます。漢から唐までは工藝といふものは朝廷若くは貴族の需用に應ずる爲に作つたものであります、平民は何にもそれに關係のないものであります。それで其の工藝は多くは經濟といふものを無視して、特に朝廷に職人を雇つて置きまして、さうして其の職人に、日本であつたら禄をやるやうに、食ふだけのものをやつて、幾ら金が掛らうが、日數が掛らうが、そんなことに構はずにやらす所の工藝が、漢あたりから出來て居つたのであります。宋の頃になりまして平民相手の大量生産が始まつて來ました。それは織物、陶器に於いては殊に著しい。大量生産といふものが工藝の平民化であります。これは後でもう少し
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