した。支那でも唐以前は、古代の發掘品といふものを生活要素に取入れることをあまりしなかつた。漢時代には、發掘物の中から銅器が出て來ると、それが符瑞即ち目出度いことであるといふ意味に解釋しました。學問上の參考には多少しましたが、發掘してきた物を趣味の對象として考へることは先づなかつたといつて宜い。それがだん/″\隋唐の頃から學問的に發掘物を利用することになりました。これも證據がありまして、隋の時に出て來た秦の始皇が使つた衡の分銅、即ち權が出て來た時に、その中に刻つてある文字で歴史の文字の誤を正すといふことをやつたことがあつた。これは顏之推といふ人の顏氏家訓といふ書に見えて居ります。これを宋代以後には趣味的に應用することになる。考古圖、博古圖といふやうな本が皆古銅器の發掘品を編纂したものでありますが、それは學問的の意味もありますが、趣味の意味が非常に進んで居りまして、その時分は學問と趣味と兩方から古代の器を見るやうになつた。その後明朝時代になると、だん/″\古器物が生活要素になります。さうして書籍などでも、古い時代の寫本とか板本とかに、教養のある人が大變魅惑されるやうになつて來た。明末に錢謙
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