斯んなことをすると國が亡びると誰かゞいつたが、果して金に亡ぼされて一時野原になつたのでありますが、それと同じに、金とか元とかいふ民族の、野原に育つて來た生活が支那に注ぎ込まれて來た。その生活はその連中からいへば原始生活の森林の中から出て來るものでありますから、何でもないのでありまして、自分等は自分等の生活をその儘支那に持つて來てやるのであります。近代の清朝も同じことであります。併しながらそれは支那人から見れば復古的に原始生活に還ることになつて來て居ります。それで其生活の要素として、天然保存といふことに就て、動物の保存が出て來る、或は藥物など土地の名物の保存が出て來ます。それから動物の保存の爲に森林を保存することが出て來ます。これは餘程面白いと思ふ。動物の保存といふことはどういふことかと申しますと、昔は支那人は孔子樣なども裘即ち皮衣を着ましたが、漢代以後織物の發達から皮衣の用途がだん/″\薄らいで來て居つたのであります。それが野蠻民族の這入つて來た爲に、皮衣を着ることが大變高貴な生活といふことになりました。近代の清朝などもさうでありまして、官服として貂の皮を着ることがある。貂の皮が官服と
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